僕の”ごきげん”のルーツ | 場活や予祝、アチーバスに共鳴した源泉

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いつも”ごきげん”だったお爺ちゃん

僕の祖父は本当にいつも”ごきげん”で・・・いつも笑顔だった。

今思えば・・・僕はお爺ちゃんの影響を大きく受けているのだろう。

幼いころにお爺ちゃんのところに良く預けられていたことも関係あるかな。

幼稚園のころから高校生、大人になっても

いつも「いいんだ」って認めてくれる祖父だった。

ふつうは叱られるようなことであっても。

僕の記憶の中でお爺ちゃんに叱られたことは1回だけ。

よく屋台のラーメンを食べに連れていってくれて・・・

そのときは食欲がなくて「ラーメン残す」って言ったとき。

そのときだけは凄く怒っていたのを覚えてる。

そういう年代の人にとってはあたりまえなんだけどね。

それ以外に叱られたことは一度もないんです。

お爺ちゃんの波乱の人生

これは母からきいた話だけど

お爺ちゃんは本当に波乱の人生だったらしく。

それでもいつも笑顔でいた彼はハンパない!

大工さんだったお爺ちゃんは建設会社を興し

若い職人たちの世話をし慕われる男だった。

そして本当にいい人だっただけに裏切られることもあった。

知り合いの若者の保証人になり、その後逃げられたのだ。

莫大な借金を背負い会社は倒産。

大工の道具も奪われ務め人になることに。

なんとデパートの帽子売り場だったそうで。

そういえば いつも ベレー帽をかぶっていたな。

せまい借家に7人兄弟のこどもたちと暮らし育て上げ。

晩年はねぶた制作をしていました。

僕が高校生のころ時々ねぶた制作小屋に遊びにいくと

砂糖たっぷりのあまーいコーヒーを淹れてくれて

ニコニコと話ながらいっしょに飲んでました。

いつもすべてを認めてくれるお爺ちゃんに

本能的に逢いにいっていたんだな、きっと。

どこまでも無条件の愛

僕が高校2年生のときにあった出来事。

そのときは2回目の停学の言い渡しの日だった。

ほんとうに小さな悪さをしたんだけど進学校だったのでね。

僕の両親は「2回も誤りに行くなんて・・・」とボイコット。

先生たちは・・・あたふた。「このままだと退学になるぞ」と。

だれか親戚とかで とりあえず来れる人を・・・と。

いろいろ電話した結果、平日ということもあり

お爺ちゃんが来ることになりました。

しかも炎天下の中、チャリンコで学校に来てくれました。

そして校長先生から停学処分言い渡しが終り

お爺ちゃんは「すいません」と頭をさげた。

先生たちは「お爺さん、申し訳ないです」と帰りを見送った。

一緒に学校をあとにして・・・

お爺ちゃんとチャリンコで走っているとき

「お爺ちゃん、ごめん。こんなことにつき合わせて」

そのとき本当に反省しました(初めて)

「いいんだ。大丈夫だ。」とお爺ちゃん。

そして分かれ道になったところで・・・

「健一、もう昼だな」

「腹減ったべ!これでラーメン食って帰ればいい」

僕に千円札を手渡し笑顔でチャリンコで帰るお爺ちゃん。

もう反省をとおりこして感謝の想いでいっぱいでした。

思わずチャリンコで走りながら泣いていました。

いったい僕は何をやってるんだ・・・

自分の中途半端さや情けなさを痛感した17歳の夏でした。

あのときのお爺ちゃんの懐の深さというか

破天荒な”ごきげん”パワーがきっと僕の心の中で

源泉となっているんだろうな・・・と最近想う。

”自ずから”沸いてくるパワーは自分や誰かの人生を変える!

世界が”ごきげん”でありますように・・・ one love !!

8月、9月の講座は以下のリンクから (世界を”ごきげん”にする行動です)

8月31日 予祝アドバンス特別講座

https://www.facebook.com/events/351628465510731/?ti=icl

9月11日 予祝ベーシック特別講座

https://www.facebook.com/events/2458220154198593/?ti=icl

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